精神的苦痛とは、受け身だからこそ起こる
日々の繰り返しの感情
小さな死の模倣
否、死を考えることは贅沢だ、死に憧れるのは生より易い。
苦痛を知らぬ、黄金時代への回帰を試みる。
学園復帰。
俺は久しく出発という言葉を忘れていた。
「お母さん行ってきまーす」
まだ汗も噴き出さない、初夏というには早過ぎる火曜4限、水泳の時間
全身でプールの水中を掻き乱す
塩素が身体中を纏い盡す
地獄の終わりを告げるチャイムが鳴り、
洗眼器(今は無き時代と共に消えた産物)からか細く飛び出す水道水で目を洗浄する
独特な臭いが充満した湿り気のある薄暗い更衣室
硬く冷たいコンクリートの地面を形どるように、級友達の素足が砂埃を取り払ってゆく。
自分もそれに続かなければならないのかと思うだけで、給食への食欲が消え失せる。
濡れた足裏のザラザラとした感触が、想像以上に不快でいっそう堪える。
唇の血色など疾うに失い、薄タオル1枚に暖を求める。
痩せ細った身体をまだらにほつれた毛糸どもが雑に迎えてくれる。
水分を含みズッシリと重たくなった水着を地元のスーパーのレジ袋に包んで仕舞うことに小3ながらみっともなさを感じる。
薄手の制服(下は短パン)を着ても当然冷え切った身体の体温は戻ってこない。
少しでも身体を温めようと、筋肉を小刻みに運動、つまり歯をガタガタと鳴らし、廊下のひんやりした空気に身悶えながら、やっとの思いで教室へと戻り、乾き切らぬ髪の毛に不服のまま、国語の授業が始まってゆく…
微かに残る少年の記憶。
あの頃の自分は、この一瞬一瞬を苦痛と受け取っていたのだろうか?
否、生きるということが現在の自分の繰り返し以外の何ものでもなかった。
生きることに疑問さえ抱かず、死の臭いにすら気付いていない。
僕が初めて目にした死は、夏休みに入って、祖父の家の庭で捕まえたトンボに紐をくくりつけて遊んでいた時、(今振り返ればかなり虐待的な酷い遊びだ)何でそうなってしまったのかまでは忘れてしまったが、トンボの頭が取れてしまった時だ。
余りにもショッキングな出来事を目の当たりにして、それまで泣き叫んだことのなかった静かな僕の心が、かなりの時間大泣きをやめなかった。
激しい感情が涙腺を突き動かす、初めての慟哭。
紛うことなき悲涙。
そばに居た父親に縋るように
「トンボを治してくれ」と懇願した。
父親に絶大な信頼を置いていたのだ。
「治せるわけないよ」
そう言って楽しそうにヘラヘラ笑っていた父親に、僕はまた大泣きした。
どうやら父親は神様ではなかったようだ。
それからというもの、父親の運転で車を走らせ出かける時は死を意識するようになった。
不幸が起きて、交通事故に遭うかもしれない。
お出かけを楽しみにしている反面、必ず悪い予感も一緒に頭によぎってきた。
だから出発前は空想の神様に願うようにした。
「どうか家族全員、無事にお家へ帰れますように」と。
一方、夜風に当たりながら父の漕ぐ自転車に乗ってうたた寝するのは好きだった
対向車のヘッドライトが眩しくて、父の背中で目を背けた
家まで10分と掛からないのに、帰りの道はやけに長くて、何時間にも感じた
何度も眠気に襲われ、明かりの灯る騒がしい御堂筋で目が覚める
改札から湧き出てくる、死の匂いが立ち籠ったサラリーマン達を見て、なりたい大人になりたいと思った
あれから数十年が経つ
なりたい大人にはなれたのでしょうか
〜 9歳の君へ
俺はその後、四半世紀にも満たない人生経験で、何一つ加えることができませんでした。
あるとしたら精神的苦痛への受容と微かな希望への看過だけです。 〜
そうして成人し、歳を重ねた今でも生きることに受け身になっているのは、仮に死への恐怖からなのだとすれば、それは大人になり切れておらず、子供染みているだけなのだろうか?
しかし、大人として、不要不急な行動をしなければ死ぬリスクを抑えられるという、ある意味で凝り固まった思考が積極性を絶っている事実をどうしても否定できない。
先日、ドライブに誘った友達にこう言われた
「昨日トラック2台に挟まれて軽がペチャンコなったニュースやってたやん、あれ見てドライブ行くん無理やわ」
ああ、大人になるということは、安全志向第一で、所詮空想でしかないものに怯え、堅実に生きることなのだ。
なまじ考え事が得意になったばかりに、要らぬ空想までしてしまうのが大人なのだ。
そりゃありもしないとは言わないが、ニュースと同じような事故が自分の身に起きる確率なんて、車に乗ることをリスクと捉えてドライブを避けるには馬鹿げている確率でしかない。
そうやって、自身の行動を狭めていく。保身に保身へとひた走り、危険を冒さないように、無難が1番だと勇ましげに言い張る。
世間が「大人」と呼ぶ、つまらない人間の完成だ。
俺があの頃なりたいと願った大人とかけ離れた「大人」へと、自分自身が染まってしまっていることに恐怖する。
そうして俺はそれを「死の模倣」と呼ぶようになった。
自責の念を込めて。
忌み嫌い、主体性を持つ意識を忘れないが為に。