日暮に暗い淵の影で

いつの日か君が真っ直ぐに人を好きになれるように

だんだん冷たくなっていく君を琥珀に閉じ込めたい


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暖まっていく

 


束の間の静寂

 

 

意識を凝らすと静寂の中に音があった。

 


それらが次第に擦れ合う布団の音となり、

 


やがて吐息や心臓の音に至って、

 


もう言葉を交わさなくても良くなった。

 


とめどない欲情で彼女を欲しがり

 


筋肉の緊張を全身で感じ取った

 


脳がぎゅーっとなって

 


血管が収縮していって

 


肌のまっ白さを目にして

 


刻々と冷静さを失った

 


彼女は雪女のように白く、

赤子のように脆い

 


暫く飛んで

忽ちに全身から

はち切れんばかりに恍惚感が込み上げてきた

 


けれども放心していられるほど、心中は穏やかではなかった。

 


雑に乱れた布団を払いのけベッドから起き上がり、サッと服を着て放心中の彼女を置き去りに302号室を後にした

 


自分の欲情を制御できないばかりに

 


誑かしてしまったんだ

 


虚しく寂しい想いが

 


下から上がってくるエレベーターの、

 


何トンもの重さのあるつり合いおもりの振動音と共に段々と大きくなって込み上げてきた。

 

 

冷たく言うなら

 


俺の中での"それ"は、

 


互いに心を通じ合わせる手段の一つ

 


唯一言葉を交わさなくても伝わる愛情

 


その示し合わせ。

 


故に愛が存在しなければ、必要性がなく、

 


この手段はお役御免であった。

 


セックスなんて、ただのそれだけだと思っていたのに。

 


彼女との交際を了承してから行為に及んだとはいえ、了承したのは自分へ課した掟の撤廃を許す、言い訳の用意でしかなかった。

 


愛する人以外とはしたくない。

己の美学とさえしていた掟を破るのは、自分を自分で殺すことに等しかった。

 


だから自分を守る為に、その子を"恋人"としてあてがっただけに過ぎない。

 

 

人を自分の都合で利用する、最低の下衆人間。

 

 

「いっそ死んじゃえば、全部楽なのにな。」

 

 

時々そう考えてしまうくらい、誰とも一緒になりきれない一人の世界で、心から通じ合えない冷たさを嘆いてたから、

 

 

そんな自分を好きだと言ってくれる彼女の温もりを目の前にして、別に死んでもいいと思える世界を生き抜く為の大事な美学なんて、馬鹿らしくなってしまった。

 

 

それよりも大事な、生きたい理由ができるなら、

 

淋しさも消えて、生きなきゃならない責任が生まれて、今ある辛さを乗り越えられるのなら、

 

この人の事をまだ殆ど知らないけれど、つい寄り添い合いたくなってしまった。

 

 

自分の生きてたいという望みを

他人に託すなんて随分と浅ましいけど、

 

それが真っ当な人間になれるきっかけな気もした。

 


彼女との交際を簡単に肯定できれば、果てたままの状態で、気持ち良さの中に浸り続けても良かったのかもしれないけれど、そこまで自分に甘えることは出来なかった。

 

 

並々ならぬポリシーとエゴのせめぎ合いで、エゴに屈してしまった腹立たしさ

 

 

その腹立たしさだけがそこにあって、やっと独りじゃなくなって、感じるはずの喜びは不思議とそこになかった。

 


これまで自分の欲情に何度も何度も打ち勝ってきた。

 


打ち勝ち、理性を保てる自分の気高さを誇りとさえしていた。

 


その培ってきた誇りが呆気なく潰えてしまったのは、四半世紀近く生きてきた中で二番目にショックな出来事だった。

 


罪悪感なんて言葉で言い表せないくらいの、後ろめたさが全身を覆い尽くしていって、

 


どうにもこうにもならなくなって、

ラブホテルの入り口、その真横にある路地裏の壁にもたれ掛かるだけで精一杯だった。

 


開き直って自分を肯定する気力も、責める気力も、彼女の居る302号室に戻る気力もなかった。

 


いっそのこと殺してやりたい。

自分をこのまま殺してやりたい。

 


煮えくり返るはらわたを割いて

このまま逝ってしまおうか

 


いや、そんなことをしたら余計に彼女は悲しむのだろう

 

 

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そんなわけで俺は貴女を愛することにした。

 


そんなわけ程度の愛も最低なのは分かっている。

 


だが、そんな俺の不在の愛ですら、彼女にとっては生き甲斐に感じる悦びように思われた。

 

ラブホテルに入る前、カラオケで付き合おうと言った時の彼女の様子を思い浮かべながら、

 

半ば無意識的に、10分ほど前に降りてきたエレベーターに乗っていた。

 

ボタンを押したのだろうか

 

気付けば3階まで運ばれ、まるで道がそこしかないかのように、302号室の前までふらふら歩いていった。

 


少しの間躊躇ったが、力ないまま扉を開けた。

 


彼女は黙って飛び出て行った俺の行動に困惑していたのか、そのままベッドに座って茫然とこちらを見つめていた。

 


俺が服を着ているのを目で確認して、慌ててうろうろと下着を探し周り、床に転がっている枕をひっ剥がしたりしてそれらを穿き集めていた。

 

恐らくこの直後だったと思う。

 

何度記憶を辿ってもどのタイミングだったか思い出せないくらい、彼女の告白は唐突だった。

 


まるで何百回と同じ話をしてきたかのように淡々と過去に虐められていたという話をし始め、

 


その話し方と表情に何の感情も現れていなかったのが逆に心を打たれた。

 


「今はこっちにいるけど、大学に行くために実家を離れて学生寮に住んでた時期があったのね」

 


「寮には私を含め6人住んでて、2人1組の部屋で、浴室やキッチンは共用スペースにしかないから、最初の頃は皆んなでお風呂に入ったりご飯を作ってそれなりに楽しんでたの。」

 


「土日になると皆んなで集まって遊びに出かけに行くくらい仲良しだった。」

 


「授業終わりは皆んなでBTSのMVを観るのが日課みたいになってたけど、正直私は興味なくて、皆んなに合わせてた。」

 


「それで入学して最初の夏休みの土曜日にね、皆んなで自転車を借りて遠くまで出掛けることになったの。」

 


「正直私は暑いのが苦手だし、体力も無いから気乗りしなかったけど、仲間外れにされたくなかったから、断れなくて。」

 


「その日は本当に暑かったの。」

 


「だからつい何度も暑い!って弱音を吐いちゃって。」

 


「そしたら段々みんなの口数が減ってきて」

 


「帰り道はもう体力も残ってなくて、あまりにもしんどかったから、皆んなに休憩しようよって言いたかったんだけど、言い出せる空気じゃなくて。」

 


「それで1人で止まって休憩してたんだけど、皆んなは先にぐんぐん行っちゃって、疲れ果てて寮に帰ってきたら皆んなとっくに戻ってきてる感じだったけど、何にも言われないし、無視されてるっぽくて」

 


「無理して行ったのに、何故か仲間外れにされちゃって」

 


「その日から虐められ始めて」

 


「いつの間にか誰も居ない時間帯にこっそりシャワーを浴びてご飯作って、寮の子と顔を合わせないようにするのが私の日課になってて」

 


「そしたら夜中にガチャガチャうるさくて寝られないって寮の誰かが大家さんに告げ口したらしくて」

 


「23時以降の共用スペースの利用は禁止されてたから、大家さんに「共同生活なんだからルールくらい守りなさい」ってこっぴどく叱られて」

 


「その時に虐められてることを話そうと思ったけど、私を問題児扱いしてるこの人に言っても助けてくれる気しないから無駄だと思って」

 


「それで虐められて学校にも行けてないのを電話で親に話そうとしたけど、「どうせあんたが悪いんでしょ」って言われるのがオチで、それならまだ良いけど、学校を辞めて実家に帰りたいなんて言ったら、なんて言われるか分からなくて」

 


「どうせ、学費も払ってんのに何言ってんの!って怒鳴られるんだろうな。」

 


「結局誰にも話せず、シャワー浴びながら泣いてたら、同じ部屋の子に「うるさいんですけど」って言われて、それからは怯えて泣くこともできなくなった。」

 


「こんなに学校も街もたくさんの人で溢れてるのに、誰も私の味方じゃなくて、どこにも居場所がなくて、とにかく居場所が欲しかった。」

 


「そしたら思いついたようにマッチングアプリに勤しむようになって、男の家に転がり込むのが私の日課になった」

 


「私のこと好きにしていいので少しの間泊まらせてくださいって懇願して、その内飽きられて放り出されたらまた別の一人暮らしの男をマッチングアプリで探して同じことを繰り返した」

 


「中出しさせないと泊めさせないっていう人もいたけど、断ったら何されるか分かんないし、外で寝泊まりするのは怖かったから、私のこと気に入ってもらって長く泊めてもらうためには言いなりになるしかなかった。」

 


「優しい人もいて、付き合ったりもしたよ」

 


「けどそいつは段々ヒモみたいになっていって、引きこもってゲームばっかして、私がバイトを6つ掛け持ちしないと生活できなくなった」

 


「暫くはヒモとの同棲生活を続けてたけど、その生活に耐えられなくなって、いよいよ親に電話をかけようって決心した」

 


「でもどうしてもシラフのままじゃ話せなかったから、レモンサワーの素をそのままがぶ飲みして、わけもわかんなくなりながら泣きじゃくってお家に帰りたいって一心で話したら流石に親も心配したのか車で3時間かけてこっちまで来てくれて」

 


「夜遅かったけど、朝になるまで親と話し合って、ヒモと別れて、学校も辞めて、実家に帰ってきたのがちょうど1年前の話」

 


この後も彼女は話し続けてくれたが、これ以上先の話を仔細に書き記すには余りにも凄絶無残なので控えることにする。

 

 

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果たしてその話を聞いた直後の俺の心には、同情や憐れみ、そんなものがあったのだろうか。

 


なぜ、地元に帰って売春に走ってしまったのか理解ができなかったし、売春をしながらセフレを10人近く回してたっていうのも俺からすると信じられなくて、同じ世界の人間だと思いたくなかった。

 


本音を言えば、心の奥底で、何も知らないまま彼女を恋人にしてしまって薄らと後悔し始めていたのは確かで

 


それと同時に、彼女が安らぐ唯一の居場所になりたいと、強く願わずにいられなかったのも確かだった。

 


人を慈しむ気持ちと人を嫌悪する気持ちが一人の人間に同じくらい向けられて、

 


正と負の感情が激しくぶつかり合って、自分の内面をより深く、複雑にしていった。

 


せめて自分が男女関係を割り切れる側の人間だったなら、多少納得ができたのかもしれない

 


自ら独りになることを望んで、人間関係を切っていった自分と、人間関係を切られて望まず独りになってしまった彼女の抱える寂しさは、全く違っていた。

 


全く違えばお互い理解できない部分が必ずあって、

 


人間関係の理解できない部分で衝突し合うのが何よりも、孤独よりも辛いのを、過去の教訓から痛いほど知っていた。

 


知っていたから、くだらない貞操観念めいたポリシーを掲げてまで人を避けて、孤独を貫いてきたのに、欲に目が眩んで、ポリシーに反した途端に性質が正反対の、最も忌み嫌う世界に住んでいる人間と深く関わっていく羽目になってしまった。

 


それを悟った瞬間、一気に瓦解した

 


大切にしてきた"自分"という格が

 


壊れていくのがハッキリと感じ取れた。

 


これまでに、己のとめどない欲をまるで正義かのように振りかざして、これが大人の遊びなんだと履き違えて、欲望のままに乱れていく人間を幾度となく見聞きしてきた。

 


あの子とヤッた、ヤッてないなどの放蕩話を誰しもが平然としていた。

 


目の前にいる彼女ですら、平然と子持ちの既婚男性とヤッた話や、通ってるパーソナルジムのトレーナーとジムの中でヤッた話などをしていた。

 


なぜ平然としていられるのかが分からなかったけど、これを書いてる今なら分かる気もする

 


きっと初めから相手がどんな性質を持つ人間かなんてカケラも興味がないから

 


自分が興奮して気持ち良くなりさえすれば人間性なんてどうだっていいから

 


だから平然と人間関係を割り切れるんだ

 


ある意味、俺もそんな人間と同類なんだと気づいてしまった。

 


形は違えど、満足感を得る手段として彼女を恋人にしたのだから。

 



生きた心地のある満足感さえあればそれで良くて、彼女という人間を知りたくて付き合ったわけじゃなかった。

 


他の人間の中から選り好んで好意を向けてくれている

それは彼女にとって、俺という存在が魅力的に見えているという事実

その事実を味わうことで、己の虚栄心を満たし続けられる

 

 

その満たされた自分のままでいれば、寂しさも

死にたみも襲ってこなかった。

 


出会って間もないのに、カッコいい。好き。

そう言われて、満更でもないかのように舞い上がっていた愚かな自分。

 


心を知らなきゃ、本当の意味で魅力なんてものは伝わらないのに。

 

 

家族ですら時々理解できないことがあるし、

どれだけ想っても、生涯、誰一人として理解できないかもって思ったら、とても寂しくなる。

 


でも理解したい。

粘り強く理解したいと願う。

 


だからこそ、肉体以上にあるはずの、彼女の魅力を知りたかった。

 


それを知るには今後彼女とどう接していくべきなのだろうか?

 


かなり頭を悩ませた。

 

 

けどそれを知った先に、長年知りたかった答えがあるように思えた。

 

 

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なぜ、毎日のように多種多様な男と肉体関係を持つことを繰り返し、これまでに三桁以上の男と交わり繋がってきたのに、それを辞めてまで俺というたった一人の人間と付き合おうとしているのか?

 


なぜ、俺とは出会ったばかりなのに、何が嫌いで何が好きなのかも全く知らなくて、まだ何もかもが繋がってないのに、見た目の雰囲気と少し話しただけで、好きになれたのか、付き合いたいと思えたのか?

 


セフレ達と、セフレじゃない俺は何がどう違うのか?

 

 

過去を考えればすべてが嫌になってくる。

 


そうは言っても彼女の事はまだ過去しか知らない。

 


嫌になってしまうのは至極当然だった。

 


けど嫌な部分しか見つからなくて早々に別れを切り出す、駄々を捏ねるような選択はしたくなかった。

 

このまま付き合っていくのも泣けるくらい悔しかった。

 


まっ白なんて可愛げに形容できるものじゃなく、彼女の肉体は真っ黒に包まれていて

 


数多の男の手垢で汚れ、塗れ、犯されまくっていて

 


そんな彼女の人生を抹消したくなってしまって

 


どんな過去だろうが彼女は彼女なりに、死にたくならないよう必死に自分を救ってくれる居場所を探し続けてきたはずなのに、少し身の上話を聞いただけで勝手に分かった気になって

 

そんな人生は間違ってるなんて、己の理性の強さを棚に上げて、理解したいと思っていながらも、彼女の存在を早々に拒絶したがっている自分が内に秘めていて

 


もっと早く出会っていれば、素直な気持ちで愛していきたいと思えたのかなとか

 


切り傷だらけのその腕は綺麗だったのかなとか

 


彼女の事を考えれば考えるほど、言いようのない悔しさ、やるせない感情だけが募っていった。

 


どの人間と、何があってどうなって、

何をして、何を思って、その腕に夥しく残っている傷を付けたくなったのか、想像するだけでおぞましさに目を背けたくなったが、見て見ぬふりなんてできるはずがなくて、

 


「俺といるならもう二度とリスカなんてさせないし、しないと約束してくれ」

 


と、永遠の責任を取るつもりなんて毛頭ないくせに、誓わせた。

 


口先だけの、関係を維持する為に必要な、空の言葉。

 


ひょっとしたら本心からの言葉なんて、貴女との間にはこの先どこにも生まれないかもしれない。

 


鼻で笑ってさえやれただろう。

 


別に俺の身体じゃないし、いくら傷を付けようがこっちには痛みなんて微塵も感じない。

 


人に迷惑かけたり死ぬよりはマシだと思うし、またしんどくなった時は包丁に頼ればいいじゃん。

いまさら傷が一つや二つ増えたところで変わんねぇだろ(笑)

って。

 


一方そんな彼女は、重苦しい話をしたばかりなのに、意気揚々と煙草に火をつけソファに腰掛け、好きだという歌い手の曲をスマホで流しながらTwitterを見ていた。

 


満足そうで良いな。

 


俺は満たされたもの以上に、鉛のような重たいドス黒さを心の中に抱え込んでしまったというのに。

 

 

 

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彼女を家まで送ったその日の夜

 


信号は疎か街灯も殆どなく、車通りもない

ハイビームでも先が見えない程の暗闇が永遠と続く、細く延びた静寂に包まれた田舎道

 


制限速度60の長い長い川路だったが、スピードメーターは110を差し掛かっていた。

 


怒りなのか、はたまた悲しみなのか、激しい感情が力の限りハンドルを握り締めた。

 


今日までの彼女の人生を想うと、どうしようもなく辛くなって、何に辛くなってるのかも分からなってきて、

 


声にならない声を上げて、

笑いながら咽び泣いた。

 


彼女の人生を救うのと引き換えに、自分の人生が壊れていく気もした。

 


その予兆からの、気狂いじみた行動の想起。

 


やはり俺は死にたい。

 


孤独の苦しみ

その果てに掴んだ

願ってもない好意の獲得は

 


いっそのことハンドルをちょいと左に揺らして、車体ごと川に身を投げ出すには絶好の機会だった。

 


誰しもが幸せを望む

誰しもが愛を望む

誰しもが願う人の生きる道

 


今まで、心からの愛と情を身を持って知る出来事がなく過ごしてきたからよく分からなかったけど、これがその道の始まりなのだとしたら、

あまりにも残酷な道のりだ。

 


確かに、長旅だった孤独はようやく幕を閉じた。

 


まさか苦しみの第二幕が始まりを告げようとしているなんて、思いもよらなかった。

 


この気持ちの味わいは、俺の思い描いていた幸せなんかじゃちっともなかった。

 


幸も不幸も分かち合える恋人ができたのなら、それはそれは嬉しいもんだと思っていた。

 


夜通し舞い踊るくらいに浮かれて、寝ても寝ても覚めない夢の中へ入り浸るくらいに。

 


実際、人生とは死ぬまで苦しみの連続なのだと、その瞬間になって理解した。

 


よし、ならこのまま死のう。

今死のう。

生きてたって何にも良いことないじゃないか。

何のために生きなきゃならない?

 


今までは空想の幸せを追いかけ、なんとか騙し騙しで生き永らえてきた。

 


でもそれも、現実を知って無に帰した。

 

 

もういいよな

 


実は彼女と知り合う前の日に、祖母の母親が亡くなった。

 


面識がほとんどなかったとはいえ、

その訃報を祖母から聞いたとき、何の感情も湧かなかった自分に違和感を感じていた。

 


たった今、アクセルを踏み締め、本気で溺死してもいいと思っていたのに、なぜかその時の違和感を思い出していた。

 


話は今朝に遡る

 


服を着替えて、玄関に腰を下ろし、上履きを履いて家を出ようとした時に、祖母が「女か?」と一言だけ話しかけてきた。

 


タイミングがタイミングで出掛け難い雰囲気だったから、黙って出て行こうとしていた。

 


普段女と遊びに出掛けたりしないのに、何故女と会うのが分かったのか、一瞬戸惑ったが、「…うん」とだけ言って戸を閉めた

 


閉めた瞬間、母親との告別を間近に控える祖母に何か一言でも言わなきゃと思って、閉めた引き戸の取手を掴んだまま、とはいえすぐには言い出す言葉が見つからなくて、

 


半分開けた戸から顔を覗き込むようにして、マッチングアプリで知り合った人と会うから、今夜は帰りが遅くなる。

 


それだけしか伝えれなかったのだが、


「ええなぁ、あんたは幸せで…」と、目もくれずお通夜の身支度をしながらふと漏らした祖母に、「ええわけあるか」とつい言ってしまいそうになるくらいには、

 

自分のしんどさでいっぱいいっぱいだった。

 


孤独な寂しさだったり、歩んできた過去から参照した先の見えない将来だったり、しんどさの理由なんて、言い出すといつまでもキリがなくて、とにかく生きる事そのものがしんどくて、ぶっちゃけマッチングアプリの人と会うのも気を紛らわす目的でしかなくて、会おうが会わまいがどうでも良かった。

 


だから、人の気も知らないで、ばあちゃんの物差しで俺が幸せか不幸せかなんて、簡単に決めつけないでくれって言葉に出したかった。

 

惨めだよな。

 


ばあちゃんの不幸真っ只中に、俺は俺自身の幸せを感じようとして、こんなにも必死だ。

 


そして経った今、死のうと思いながらも、車道からはみ出ていかないよう健気に車のハンドルを握りしめている惨めな自分は、知り合ったその日に付き合い始め、経った数時間前に彼女から聞かされた、これまでに遭った貴女の不幸な出来事を、自分ごとのように共感しようと必死だった。

 


将来なんてなんにも考えてないのか、

それとも最初から気持ちなんてものはなくて、

ただ生きてる理由が欲しいだけで、

リストカットや男で肉体も精神もぐちゃぐちゃになってるだけなのか、

 


なぜ、こんなにも奥手で、真面目で、自我を出すことを極端に怯える、控えめな子なのに、売春なんかに手を出してしまったのか。

 


祖母の感傷は知ろうともしなかったのに、こんなにも深く、今の今まで他人だった人間の人生を考えているなんて、俺はどこまでいっても真っ当にはなれない、どうしようもない人間なのかもしれない。

 


彼女の今まで生きてきた人生を考えているのも、本当は彼女のためなんかじゃない。

 


今日から自分の彼女となる人が、どのような人間なのかを見定めるために真剣になっているに過ぎない。

 


どれだけ愛されても他人への想いやりを持てない、自己愛が強すぎる自分の惨めさを憎んでも憎みきれず、されども死ぬことに関しては自分の可愛さ大事で、やっぱり踏みとどまってしまった。

 

 

 

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彼女の家から自分の住んでいる所までほぼ直線なので、車で110kmも飛ばせば1時間程で着く。

 


23時には床に就く祖母が、俺が帰ってくるまで心配して眠らないのを知っているのに、家から5分の距離のコンビニエンスストアまで戻ってきておいて、そこに車を停車したままシートベルトも外さず一ミリも動けなかった。

 


今日の出来事でぐちゃぐちゃになった心を、祖母にだけは悟られたくなかったから、どうしても家に帰れなかった。

 

 

 

22時51分

何をするでもなく、フロントガラスに落ちる雨音で我に帰る

 


23時17分

忙しなく雨を跳ね除けるワイパーを見て雨と自分を重ねた

 


曽祖母のように、最期を大切な人たちから見届けられることなく、

 


雑に跳ね除けられるこの雨粒のように、誰からも見放されて容赦なく消えてしまうのが自分にはおあつらえ向きなのかもしれない。

 


無情な心

 


降りしきる雨

 


人の愛情が苦しい

 


自分は誰かに思いやりを持ってもらえるほど、できた人間じゃない

 


堪らず涙と笑みが噴き出てくる

 


自分でもどんな感情なのか分からない

 


いちいち感情を喜怒哀楽の中から区別して、言葉に表さなきゃいけないのだろうか

 


そうだとしても今の感情をピッタリ表せれる言葉が既にどこかで存在していて良いわけがない。

 


自分には人の心がないんじゃないかと常々思い過ごしておきながら、いざ自分事となると感情をこれでもかと露わにする自分を心底嫌悪した。

 


けど、こんな自分にも、まるで息子のように愛してくれる祖母が在る。

 


母親との別れで心身共に疲弊しきっていて、早く休みたいだろうに、孫の帰りを今か今かと待ってくれている。

 

 

23時28分

ようやくハンドルを握り締め、エンジンを鳴らす。

 

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体育館の半分くらいはあるだろうか、大きな倉庫

 


そこには祖父が仕事で使っていた重機などが置かれていて、車庫も兼用している。

 


大半が祖父の仕事の物で埋め尽くされていて、大きな倉庫の中の車庫と言っても、ギリギリ車1台分しか置けるスペースしかない。

 


周りの物に当たらないようにして車を停めるのに少しばかり神経がいる

 

 

真っ暗な中、ネズミ除けのライトが小さくチカチカ光る

 


それがただただ不気味で、堪らずスマホのライトを灯す

 


灯したまま、助手席にライトを上にしてスマホを置いた

 


エンジンを切り、ふとルームミラーを見ると、スマホのライトで照らされた不気味な顔が映る

 


余計怖くなって、焦って倉庫を出る

 

 


雨空でも星が見える程の暗く静かな田舎の空は想像以上に暗い

 


倉庫から家までの短いような長いような畑道を早足で駆け抜ける

 


畑道から見える居間の灯は、祖母がまだ眠っていない証だった。

 

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「寝てくれてよかったのに。」

 

時に人の優しさは、予想をしないところで自分を傷つけてくる

 

こんな人間に優しくしないでほしい

 


今日に限って、祖母にも愛想をつかれて当然の素っ気ない態度で家を出てしまった。

 

しかも普段よりかなり遅い時間に帰ってきて、ばあちゃんのこと何も考えてない

 


合わせる顔がなくて、俯きながら居間に入ると、

 

開けてとだけ言って、炭酸飲料の入った1.5ℓのペットボトルを、痩せ細った腕を震わせながら重たそうに持ってきた。

 

 

俺は黙ってそれを手に取り、造作もなく蓋を開ける

炭酸がプシュッと音を立てるよりも前に泣きそうになった

 

 

堪らず戸も閉めないで家を飛び出して、倉庫までの畑道を駆け抜ける

 

 

土砂降りの中を全速力で走ったから、行きつけの古着屋で一目惚れして買ったばかりのリメイクデニムが跳ねた泥で汚されていくけれど、

 

今そんなのどうでもいい

 

ただ、この瞬間の感情を一刻も早く忘れ去りたい。

 


倉庫を開け、車に近づき、運転席のドアに手を伸ばしていた。


ドアを開けると、彼女が付けてた香水の残り香があった。

 

瞬時に、今日一日の楽しかった記憶が呼び起こされる

 

彼女だと認識できる匂いはあるのに、肉体はここにない。

 

なぜかそれが無性に愛おしくなって、哀しくなった。

 

同時に、曽祖母が亡くなった実感と、祖母も在なくなる日がもう時期来るんだよなという実感が今更になって襲ってきた。

 


「戻らなきゃ。」

 

 

俺は俺を大切にしてくれている祖母と、今日から二人になってくれる君をこれ以上悲しませないために。


そう心に秘めながらドアを強く閉めて、濡れるのも構わずゆっくりと歩いて家へ入った。

 

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区切りが良いので、一旦ここまでを前半部分にして終えます。

長いのに最後まで読んで頂き、有難う御座いますm(_ _)m

もし何人かから読んだよ!っていう何らかのリアクションが届けば、後半部分はこれ以上の文量になるかと思いますが、続きを全て載せていくつもりです。