日暮に暗い淵の影で

いつの日か君が真っ直ぐに人を好きになれるように

「本日」

時々,その日の出来事の中で感じた事,思いついた事を,頭の中だけのものにしたくない,忘れたくないと思って,日記的,というより只の散文のようにババっと書く時があるが,

 

毎度の事,言いたい事が上手く纏まらず,スッキリしない。

 

そんでもって,続きを書くのを放ったらかしにしてしまう。

 

一応,自分的には,取り敢えず忘れない内に,これだけは忘れたくない,という頭の中の事を走り書きし,書き損じてはいないので,纏まっておらずとも,まぁ良しとしているのだろう。

 

だが後になって読み返すと,どれも話が途中でブツリと途切れているので,気味が悪い。

 

何が言いたかったのだ?

と,書いた自分でさえ,解読不能な散文が多々ある。

 

要は"未完の日記"だ。

 

日記とは一日の,その日の締めくくりをする為に書くものでもあると思っているので,未完で終えているのはどこか変な気もする。

 

でも,別に未完でもいいのかも。

 

寧ろ,未完だからいいのかも。

 

何故,取るに足らない一日の,つまりは整合性の何一つ取れない,歪な毎日を書き記す事に,完璧を求めようとするのか。

 

朝目が覚めて,ベッドから起き上がる時に,今日はこういう日になれば良いなと,漠然と一日の自分を思い描いていたとしても,

 

夜になり,ベッドで目を瞑りながら今日の出来事を振り返れば,全てが思い通りだったな,なんて思えた日など,一日足りとも存在しないのに。

 

そもそも別に,完璧に過ごせている,などと自負をして,一日一日を生活しているわけでもないのに。

 

そこに,己のくだらない人間性のようなものを感じざるを得ない。

 

つまるところ,死してでしか完成し得ない,その人生の歪さに落胆しているのだ。

 

纏まりを得るには死ぬしかないのだ。