prisoner of society

 

 

容姿。それは単なる人と人を区別するシンボル

 

もはやそれだけではない。

 

みんな自分を見いだすアイテムとして、積極的に活用している。

 

みんな自分が分からない


生産が過剰で消費の蔓延と停滞を繰り返している現代社会。

 

一体、一日に何人の仮初の優越感を、SNSで眺めたのだろう

 

そこにおける容姿は唯一無二

 

個人としての存在を分かりやすく示す

 

今では立派な、他に代え難い価値のある商品。

 

それまでは理解できなかった。

芸能人さながらに自撮りを載せまくる

一般人のことが。

 

今となってはよく分かる。

 

誰かから愛されたい。

生きてていいんだって、自分の生きる価値を証明したい。

 

かくして自撮りに取り憑かれる。

 

あくる日もあくる日も果たせない自己実現

 

懊悩煩悶の日々

 

次第に実生活から絶縁して、生活というものを忘れてしまったらしい

精神的に跛行していた


「消えたい」

 

もし今目の前で、スマホを、SNSを取り上げられたら、何を準拠にしたらいいか、何を愛し何を軽蔑したものか

 

一切がお先まっくら

 

でもこれ以上、偽りの私をSNSに載せなくてよくなるなら、それでも。

なんて夢物語。

 

みんな誰かにアピールしている。

 

自撮りが得意じゃないあの人も、他の方法でアピールしている。

 

好きな映画や漫画、音楽やファッションなんかをSNSに載せてアピールしている。

 

アピール

アピール

みんなでアピール

誰もが自身の存在を肯定してもらおうとして

誰もが自身の存在を否定している。

 

 

「これが私の好きなものです」とSNSに載せたもの

 

それを好きになったきっかけなんて、大半が時代の流れの中の事由

 

本音を言うと別に好きって感じてない

 

時代の中の流れ

詰まるところ"流行り"

 

無意識的に流行りを追いかけている。

 

今まではそれで良かったのに、

無意識的に生きていると足元を掬われるようになった。

 

自我を見失うのと引き換えにして、好きなものを与えてくれている

 

もし流行っていなければ、もし大々的にメディアに出ていなければ、今好きになっているものの存在なんてきっと知らない

 

自分が本当に知りたいことはインターネットでいくらでも調べられる便利な時代

 

にも関わらず、

 

自分の知りたいという探究心を全てメディアが見せる狭い範囲にお任せしている

 

奇異な状態に見舞われている

 

感じることそのものが後回しになっている

 

そうして「私」が時代の流れの中に葬られた

 

日々自分なりに物事を捉えて、感じて、自分らしく生きていくというのを無意識的に放棄するような形となって、やがて何らかの知覚をもたらした

 

それが正体不明の違和感となって、ストレスとして現れた

 

うざい

 

なんか生きづらい

 

生きていることそのものをつらいと思うなんて、死んでいるのと一緒じゃん。

 

それでも肉体は、「生きている。」と言うんだろう

 

魂が「死んでいる。」

 

日々生活していく中で何かを感じている

それを詳しく知りたくて、答えを見つけるために、SNSを閉じて、ひたすらネットの中を走り回った。

 

走って走って、その中で出会ったもの、響いたもの、これだ!って感銘を受けたもの

 

これがそうだったんだ

 

これが、心からの好きだったんだ

 

見いだせなかった自分の本質

 

いつまで経っても本当の自分が分からないまま、心を病ませるSNS依存者

 

今も時代の流れの中を無意識的に生き続けるメディアの言いなり狂信者

 

極々自然に、流行という時代の作る流れに身を任せるように仕向ける巧みな殺戮社会

 

自分がいて社会が成り立つ?

社会があるから自分が成り立っている?

 

その問いに即答できないくらいに

当事者意識を喪失させていく社会人

 

まるでゲームの中の主人公みたいに

 

コントロールされている時だけ動くことを許されたかのように自由意思が不在している。

 

コントロールされなくなると忽ち棒立ちを余儀なくされたかのように、時には足だけが空転して障壁する物にぶつかり続けている

 

あゝなんて哀れな実情

 

哀れな主人公に魂の救済を。

 

意思が自分を起点としていない。

自分の行動の決定を自分で考えているつもり

だったけど

ある程度選択肢が用意された中で、選び取っているだけでしかない。

そう理解した

 

「シナリオ通りに進む人生に、果たして自分らしさなんてあるのかな?」

 

聞いてもみんな知らんぷり

 

みんな何者かに動かされていて、

言っても本人には届いてないみたいに

 

まるで知覚できないように事前にプログラミングが施されているかのよう

 

行動の選択を、好きか嫌いかの感情の動きを、全部自分の意思でコントロールしていると錯覚させているなんて、グロいことをするね

 

そんなことは露知らず、今日も能天気に自撮りや好きなものをSNSに投稿して、自分のあってないような存在を、これまたあってないような存在にアピールしている

 

どこが現実世界でどこが空想の世界なのか

その境目を知りもしないで

 

自分本来が感じるはずの、自分だけの好きや嫌いといった感情が、社会全体の感じている好きや嫌いに飲み込まれている

 

もみくちゃな世界

 

本当は疲れてるし休みたいけど、プレイヤーがひとたびコントローラーを握れば意思とは関係なく、まるで意思などないかのように、言いなりになって動かなければならない世界

 

アナタは非常に狡猾な社会

 

よくも、何ら疑問を持たせず、鮮やかに"私"に成りきらせることを可能にさせてくれましたね。

 

よくも騙されることを平気で受け入れるようにさせてくれましたね。

 

実質もうこの世界に個性など存在しないって言いたいのでしょうが、そうはいかない。

 

だって神様が教えてくれたから。

容姿だけは、誰にも取って代わることのない大事な大事な個性だって。

 

神様は言った「全て一点一点手作業で丹精込めて創り上げました。同じ顔などこの世界に一つとしてございません。」

 

私は確かに此処に居るという、唯一の存在証明。

 

その為の自撮り。

 

けど、自撮りを投稿し続けても待っているのは、

実生活からの絶縁。

生活そのものを見失って、精神を潰していく

 

追い打ちをかけるように「何の努力をせずとも自撮りだけで絶賛を得られるなんて、クレオパトラ楊貴妃小野小町くらいなものです。諦めて自分を押し殺しましょう。」と社会が囁く

 

負のループまっしぐら。

 

普通に生きたいだけなのに。

 

マトモに穏やかに、肉体も精神も常に健康を意識した生活を送りたかった

 

生きることは喜びなんだって自分の意思で感じたかった

 

自撮りもせず、流行りにも乗らなければ良いなんて、もうそんな単純な話じゃない

 

流行っているものは意識しなくても目に入ってくる

 

根本として流行るってことは、一般的に見て誰しもが好感を持てるもの

 

条件反射で、無意識的に好きになっている

 

興味を示さないようにするのは至難の業

 

流行りを全てシャットアウトしてしまうと話題に入れなくなる

 

かえって自分の存在を否定されたように感じてしまう

 

本当の自分を知って、本当の自分で

自分の存在を肯定されたい

 

それなのに

 

生産が過剰で消費の蔓延と停滞を繰り返しているSNS社会

 

その中での「私」の自撮りは

陳列された商品の一つでしかない

 

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不特定多数からの評価至上主義。

 

自撮りを褒められたって

ちっとも嬉しくなんかない

 

そういう見え透いた誰かからの反応は

「私」にだけじゃない

日に何度も何度も大量のSNS投稿者に、同じようにして何らかの反応を付けている

 

「私」はアナタを見た

だからアナタも「私」を見てくれとでも言うように

心からの評価ではない反応は響かない

 

誰からも反応されなければ

自分はこの世に生きる資格がないとでも?

 

ないものねだりをやめれば

此処にいても赦されるような気がして

「私」は自撮りをやめる

 

「私」は誰?

アナタも誰?

知りたくないから知らんぷり

今日も私は社会人

 

そんな腐り切った世界に、一石を投じてよ愛。